国際電話

アフリカ大陸にいっている彼女に電話をした。1000円のICテレフォンカードで話せたのが3分弱、、。
話せたというより、声を聞いただけだ。なんなんだ!!料金高いぞ!!


国際電話

先日、再び韓国から電話が来た。やばいなーって思いながらでると、
かわいらしい女性の声、しかも日本語を話してくれている。彼女はバンさん。
光州で僕の通訳をしてくれる人からだった。なんだか、ほっとした。


国際電話

も、yahoo!IP電話とか安いらしい、、、。ほんとかな、、、。



今日の朝日新聞天声人語は、僕の好きな指揮者であるカルロス・クライバーの記事だった。
僕は、彼が指揮をしたCDしか聞いたことがなかったので、なんだかとっても面白かった。

■《天声人語



 地震が起きて聴衆は避難し、客席は空っぽになった。指揮者はタクトを振り続けた。演奏が終わった後、彼は、オーケストラに落ち着きがなかった、と不満をもらした。地震のことを説明されると、「全然気がつかなかった」(雑誌『WAVE』31)

 亡くなった指揮者カルロス・クライバーはそうした逸話や伝説に事欠かない。彼の公演はすぐ完売になる。幸いにも切符を手にした人は、期待と不安の日々を送る。キャンセル常習犯の彼のこと、指揮台に立つまでは安心できない。立ってからも何が起きるかわからない。しかし不安の対価は、かけがえのない陶酔である。

 「パステル画のように精妙で……必要とあればルーベンスルノワールにも劣らない極彩色で音の劇を描き出すことも辞さない」(吉田秀和)。88年にミラノ・スカラ座と来日したときの評である。あの厳しい批評家が「満腔(まんこう)の敬意とブラヴォーを」と記した。

 帝王といわれたカラヤンは「冷蔵庫が空っぽにならないと演奏会に出てこない」とクライバーの「出無精」をからかったそうだ。帝王亡き後の空白を埋めてくれる人、とわかっていたのかどうか。

 74年の生涯は平坦(へいたん)ではなかった。父エーリッヒは高名な指揮者だったが、ナチスドイツを嫌って30年代、南米に移住した。戦後ヨーロッパに戻ったが、息子が音楽家になるのには反対した。最初は偽名で指揮台に立ったほどだった。

 飛行機嫌いなのに、たびたび来日した。日本が好きだったのだろう。大のインタビュー嫌いだから、ついに尋ねる機会はなかった。