10月18日(月曜日)中国新聞に、、

「韓国光州ビエンナーレに参加して」

  現代美術の展覧会「2004韓国光州ビエンナーレ」に招かれ、八月五日から十
日間、光州市を訪ねた。僕が参加した「エコ・メトロプロジェクト」は、地下鉄という
公共空間を使って、市民、作家、キュレーターとのコラボレーションを軸に、新しい
美術の在り方を探る試みの場だ。
  日本や中国、アイルランド、ドイツのアーティストのほか、韓国から美術大学
教授や学生、小学生など幅広く参加する。絵画や彫刻、写真、映像、オブジェ、など
で、地下鉄の車両やホーム、トイレなどをいつもとは一味違う素敵な空間に変身させるのだ。
  中でも、車両一編成丸ごと使った展示は圧巻だった。窓はすべて作品で覆われ、
つり革や荷棚にも展示があり、照明は黄色や青、ピンク。車内は「走る美術館」だ。
こんな展示が実現するのも、市民の理解と十年目を迎える展覧会の歴史の重さだろ
う。
  僕が展示した地下商店街と地下鉄を結ぶエントランスのテーマは「触れることの
できない自然」。僕にとってその答えは、遠くに住んでいる人間だ。まず、デジタル
カメラで撮影した東京の風景写真を縦一・六メートル、横四メートルに伸ばした。
  僕が展示した地下商店街と地下鉄を結ぶエントランスのテーマは
「触れることのできない自然」。僕にとってその答えは、遠くに住んでいる人間だ。デジタルカメラで撮影した東京の風景写真二枚を縦一・六メートル、横四メートルに伸ばして、エスカレータを挟んで向き合う壁面に置いた。大きな写真は近くで見るとドットになる。
その上に、僕が手のひら大の魚を書き、地下鉄利用者や作家、スタッフには名前を書き
込んでもらった。
写真に近づかないと魚や名前は見えない。全体を見るため離れると、魚は見えなくな
る。魚は国と国を分断する川を渡るための案内人。両岸から見ないと、互いのことは
分からない。一枚の風景写真でも眺める距離や視点によって、見え方が違うのを感じ
てもらう狙いだ。僕たちが外国をイメージするときの縮図でもあった。
  作業中には、よくハングル語で話し掛けられた。「ごめんなさい。私は日本人で
す」と言うと、不思議そうな顔をする。確かに、若い世代ほど似ていて、韓国人と日
本人の区別がつかない。
  ある時、つえをついたおじいさんが、ハングル語で話し掛けてきた。いつものよ
うに謝ると、おじいさんは日本語で話してくれた。 「十五歳まで熊本で育ったんだ」
と日本での想い出を話してくれた。「僕たちの先祖が申し訳ないことをしました」と
頭を下げると、優しく微笑んでくれた。
  韓国人スタッフと日本語で話していて、すごい剣幕で叱られたこともあった。
「あのおじいさんは何て言っていたの」と聞くと、スタッフは少し考え込み、「とても難しいよ」と訳してくれなかった。
  夕食会では、ドイツと韓国の作家たちが東と西、北と南の分断と統一について熱
心に議論していた。そして、誰もが統一を望んでいたのが印象的だった。セレモニー
では、展示に参加した小学生が最前列に招かれ楽しそうに笑っていた。
  韓国の今に触れ、国や世代を超えた人のつながりを確かめた貴重な十日間。十年
後、このビエンナーレから一体どんな作品が生まれるのだろう。気になって仕方がな
い。
(写真家・大石広和=呉市出身)